代に残る事を
TETSUYA YOSHIMATSU
  • NAME:
    吉松 徹哉
  • JOINED YEAR:
    2007年入社
  • DEPARTMENT:
    西日本第一営業部 大阪営業課
  • ※内容は取材当時のものです
代に残る事を
TETSUYA YOSHIMATSU
  • NAME:
    吉松 徹哉
  • JOINED YEAR:
    2007年入社
  • DEPARTMENT:
    西日本第一営業部 大阪営業課
  • ※内容は取材当時のものです

等身ま挑戦る環境に

等身大ま挑戦環境に惹か

本当は、すぐに就職するつもりではなかった。海外に1年間留学しようと思っていたのだ。昔から英語の成績は良く、大学では外国語学部の英語専攻を選んだ。多言語が飛び交う環境で学び、教授から海外での生活について聞くうちに、いつか自分も海外に渡りたいと考えるようになっていた。そのため、大学3年生の秋にいくつかの企業説明会に参加したのも、「留学前に就職活動の雰囲気を掴んでおこう」という軽い気持ちから。商社や旅行会社など、英語力を活かせそうな企業を選ぶ中に、阪急交通社(現・阪急阪神エクスプレス)があった。

当時、阪急交通社の主力事業は旅行と国際物流の二つ。最初は旅行事業に興味があったが、説明会が終わる頃には「この会社で国際物流の仕事がしたい」と、すっかり考えが変わっていた。当然説明会に参加するまで存在すら知らなかった業界。だが、説明を担当した社員の話に引き込まれ、国際物流がなければ、自分たちの生活が成り立たないことに気づかされた。さらに、若手でも臆せず挑戦できる環境があり、海外駐在のチャンスもある。説明会の雰囲気からは、風通しの良い温かな社風も感じられた。この会社なら、今の自分から背伸びすることなく、英語力を活かして社会貢献ができるかもしれない。早速選考にエントリーし、内定が出た時点で入社を決めた。そして、目標は留学ではなく、「いつか海外に駐在したい」に変わっていた。

現場の経験の先キャを彩る

現場の経験がの先を彩

入社後は九州支店のカスタマーサービス係に配属され、航空輸出の手配業務を担当した。輸出する貨物と必要な書類をお客様から預かり、税関で輸出申告を済ませ、航空会社にフライトの予約をして貨物を発送するまでの一連の流れを担う。事務所は福岡空港内の建屋にあり、1階に輸出前倉庫が併設されていた。一連の作業の中で貨物にラベルを貼る工程があり、輸出前倉庫の中を毎日のように駆け回っていた。その倉庫は競合他社も利用しており、半導体部品や生鮮食品など貨物の種類も多岐に渡る。貨物の内容や送り先の国によって輸出入規制が異なるため、そのすべてを頭に入れておかねばならない。社内イントラに掲載されている現地法人の情報を隅々まで確認し、それでも解決できない場合は先輩社員に質問を繰り返した。ただ言われたことだけを淡々とこなすだけの仕事は面白くない。自分の頭で考え、自らアクションを起こすことを心がけた。半年を過ぎた頃には、まるでその国にいたかのような感覚で、お客様と会話ができるようになっていた。

振り返れば、輸出前倉庫を駆け回った経験が、その後のキャリアにも活きたように思う。現場感覚を磨いたことで、物流全体のイメージを描けるようになり、お客様の要望に合わせた最適な輸送方法を提案できるようになった。貨物をA地点からB地点まで運ぶのは、決して簡単なことではない。物流の奥深さを若手のうちに経験できたのは、幸運なことだった。それはベテラン社員になった今でも変わらず、機会があれば、倉庫に直接出向くように心がけている。

念願た海外駐在をた先に

念願た海外駐在をた先に

海外に渡るチャンスは思いのほか早く巡ってきた。入社から半年後、香港の現地法人をサポートするため、約3ヶ月の長期出張を命じられたのだ。初めての海外長期滞在。しかも1人で。不安も大きかったが、海外に行ける喜びの方が大きかった。現地では倉庫オペレーションの品質向上を図るため、業務手順の把握や見直しを行った。駐在員の方々の支援を受けながら、現地スタッフとコミュニケーションを取り、手順書をブラッシュアップしていく。海外の倉庫を目の当たりにできたのも、貴重な経験となった。

その後、自ら希望して営業部へ異動。入社7年目、20代最後の年にニューヨーク支店への駐在が決まった。念願の駐在員デビュー。嬉しくて嬉しくて仕方なかった。当時ニューヨーク支店に在籍していたのは、上司と自分を含めた3名の駐在員と約15人の現地スタッフ。営業はもちろん、収支管理やスタッフの監督、採用活動なども任され、忙しくも充実した日々が続いた。

大小さまざまなトラブルも自分を成長させた。お客様から航空機用大型エンジンの航空輸送を請け負った時のこと。10トン近いエンジン2機を航空機に積み込むため、専用のクレーン車を手配していた。しかし、出荷前日になって重機業者から故障によるキャンセルの連絡が入る。予約していたフライトに穴を空ければ、大損害になりかねない。手の空いたスタッフ総出で別の会社を探し、手当たり次第電話をして、日が落ちる頃8社目でようやく手配可能な会社が見つかった。翌日、空港滑走路にクレーン車が搬入される姿は、今でも忘れられない。

混乱を抜た先にし込だ光

混乱を抜た先にだ光

ニューヨーク支店駐在から4年後、私は米国本社のあるシカゴにいた。シカゴ支店の副支店長を任されたのだ。アメリカ中西部に位置するシカゴは、物流ネットワークの中心地としても栄えており、多くの物流会社が本社を構えている。支店の規模も大きく、スタッフは約40人、バックオフィス系も含めると100人近くまで膨らんだ。ニューヨークより倉庫面積は格段に広く、取引先の規模や業種業態も異なる。新たな世界での挑戦に胸が躍り、精力的に仕事に取り組んだ。しかしその毎日は、新型コロナウイルスの感染拡大により一変してしまう。

コロナ禍による経済混乱は物流にも波及し、コンテナ不足による港湾混雑や、極端な労働力不足を招いた。当然、阪急阪神エクスプレスも例外ではない。人材流出が相次ぎ、現場からは「人が足りない」という声が相次ぐ。来る日も来る日も人材会社へ連絡し、多い時は一週間に10人以上面接することもあった。一方で、残るスタッフとは一対一で対話をする時間を設け、本音で話してもらえる関係をつくっていった。やがてスタッフからも業務の効率化に向けた提案が自然と挙がるようになり、徐々に支店の仕事が回るようになっていった。

組織づくりに手応えを感じ始めた頃、日本への帰任辞令が下る。コロナ禍のピークが去り、これからという時だった。後ろ髪を引かれる想いで、支店スタッフに帰任の旨を伝える。その数日後、米国本社社長のもとに、シカゴ支店全員の署名が入った嘆願書が届いた。それは、「私をシカゴに残留させてほしい」という内容だという。驚きとともに、その気持ちと行動力に思わず胸が熱くなった。結局辞令が覆ることはなかったが、コロナ禍で苦労をともにした時間が報われた想いだった。その嘆願書は、思い出として今も大切に保管している。

サース業はで成り

サース業は

現在は西日本第一営業部で、大阪営業課の課長を務めている。大阪を中心に、約1,200社のお客様への営業活動や新規開拓を通じて、会社の利益に貢献することが当営業課のミッションだ。単なる輸送提案に留まらず、顧客のサプライチェーン全体を俯瞰したうえで、最適な提案を心がけている。

課員は約20名。うち半数近くが20代の若手社員だ。駐在員時代は手探りでスタッフを管理してきたが、ようやく今になってマネジメントの醍醐味を感じられるようになったと思う。かつての自分は一人で仕事を抱え込みがちだった。「自分がやった方が早い」とすら考えていた。だが、組織で物事に取り組めた方が、当然得られる成果も大きい。若手社員たちが成長する姿を目の当たりにできるのも、仕事のモチベーションに繋がっている。国際物流はサービス業であり、サービス業は人で成り立つ。課員たちの活躍や駐在員時代の仲間たちの顔を思い浮かべると、そのことを改めて強く実感する。

若手時代から、「自分がこの会社にいた証を残したい」と考えていた。創業の地である関西には、長期にわたりお取引が続いているお客様も多い。そこには先輩方が粘り強く営業を続け、新規開拓してきた歴史がある。その歴史を引き継ぎつつ、次の世代に残せるような仕事をしたい。入社から20年近くの年月が経ち、まだその想いは満足できていない。だが、叶いそうな予感はある。一人では到達できない高みにも、今ならきっと手が届くはずだと信じている。

MOTIVATION CHART
モチベーション(点)
100
90
80
70
60
50
40
30
20
10
2006
2008
2010
2012
2014
2016
2018
2020
2022
2024
(年)
  • 2007年4月
    22歳
    70点
    社·西日本第二営業部九州支店配属

    大学時代を過ごした福岡の九州支店に配属される。先のことを考える余裕はなく、仕事を覚えることに精一杯の毎日を過ごす。

  • 2007年10月
    22歳
    80点
    香港長期出張3

    香港へ約3ヶ月の長期出張。初めての海外長期滞在に不安と期待が入り交じる。駐在員や現地スタッフに助けてもらいながら業務にあたる。

  • 2010年4月
    25歳
    75点
    西日本第二営業部 九州支店営業課配属

    いつか海外駐在することを念頭に置き、外勤営業に異動。先輩社員から営業のイロハを教えていただきながら、お客様の元へ通う日々を送る。

  • 2014年1月
    29歳
    90点
    カ現地法人ニューヨーク支店配属

    念願の駐在員としてのデビュー。営業のみならず、収支勘定やスタッフの管理・監督、採用などありとあらゆることを学んだ。

  • 2018年4月
    33歳
    95点
    カ現地法人シカゴ支店配属

    米国本社のあるシカゴへ異動。より大きな支店を任され充実した日々を過ごすが、コロナ禍で状況が一転。人材流出に悩まされ、精神的にもタフになった。

  • 2022年4月
    37歳
    70点
    西日本第一営業部 大阪営業二課配属

    約8年間の海外駐在を終え帰国。久しぶりの日本と初めての関西勤務に、期待と不安の入り混じった入社時と似た緊張感を味わう。

  • 2025年4月
    40歳
    85点
    西日本第一営業部 大阪営業課

    20名を超える営業課の課長に。大阪を中心に営業活動を展開する。課の規模も大きくなり、日々マネジメントの醍醐味を味わっている。