自分の
信じた道を
TOMOKO HIRANO
  • NAME:
    平野 智子
  • JOINED YEAR:
    2004年入社
  • DEPARTMENT:
    運·東日本
  • ※内容は取材当時のものです
自分の信じた道を
TOMOKO HIRANO
  • NAME:
    平野 智子
  • JOINED YEAR:
    2004年入社
  • DEPARTMENT:
    運·東日本
  • ※内容は取材当時のものです

どんな状況でも自分を貫いた

幼い頃から自立心の強い性格だった。元々両親が共働きで兄とも歳が離れていたため、幼少期は一人で過ごすことが多かった。そのため、物心がついた時には何でも自分で決め、行動していた覚えがある。幼稚園年長の頃に、サマーキャンプの申し込みを行う際、親に相談せずに一人で済ませ、周囲を焦らせたことは、今でも家族の間で語られるほどだ。その性格は、高校や大学受験、就職活動と進路を決める際も変わらなかった。高校受験の時には、すでに大学への進学を見据えており、入学後も大学受験に備え、勉学に専念しようと考えていた。しかし、思うように成績が伸びず、受験が迫った高校3年生の時点では、親はもちろん、担任からも「このままだとどこの大学も受からない」とすら言われる状態になっていた。そんな状況の中でも、早くから決めていた第一志望を変えようとは思わなかった。それは、自分で決めた道を、簡単に諦めたくなかったから。「自分なら絶対に大丈夫」と言い聞かせ、必死に受験勉強に励んだ。その結果、周囲から驚かれるほど成績を伸ばし、志望していた大学に合格。自分の決めたことに対して、覚悟を持って挑む大切さを知った。

高校受験の時と同様、大学入学時には将来の進路を決めていた。それは、海外出張の多かった父や海外駐在員だった叔父のように、海外との繋がりがある職業に就くこと。そんな想いを持って大学生活を送る中、授業で「通関士」という仕事があることを知り、資格を取得。就職活動では、当初から想定していたグローバルな仕事であることに加えて、資格を活かせる仕事であることを軸に、船会社や物流会社を志した。しかし、当時は就職氷河期で、なかなか就職先は決まらなかった。志望業界を変えるという選択肢も頭をよぎったが、環境を言い訳にしたくなかった。そうした中で、阪急阪神エクスプレスへの内定が決まった。選考を受けた企業は200社を超えていたが、そんな苦労を忘れるくらい、私の心は世界を舞台に働けることへの期待で一杯だった。

荒波に揉まれながらも前へ

入社後は海運事業部の業務課にて、海上貨物の輸入手続きを担うこととなった。主な仕事内容は、各支店の営業担当から受けた依頼に沿って、通関担当への手続き依頼やトラック会社への配送手配などを行うこと。当初は想像以上に紙処理の業務が多く、戸惑った。また、時には営業担当の指示通りにトラックが手配できず、「なぜ手配できないのか説明してほしい」という厳しい指摘を受けることもあった。

駆け出しの頃に何よりも悔しかったのは、「新人や若手だから」という理由で仕事内容が制限されてしまうこと。元々業務課は営業担当からの依頼をもとに作業することが多い部署だったこともあり、自分が主導で取り組めることが限られていた。加えて先輩のサポートがメインだったため、最初に自分が担当していた作業も役職の都合上、途中で上司や先輩に引き継がなければならないことが多く、その度に悔しくて仕方がなかった。幼い頃から自分で何でも決め、やりたがる性格の私には、納得のいかないことばかり。その度にOJTだった先輩に反発しては、涙を流す日々が続いた。そんな環境に悩み、もがきながらも目の前のことと必死に向き合っていた。その後、着実に知識や経験を積み重ねたことで、決まった支店の輸入案件をすべて任されるように。今まで先輩宛に来ていた問い合わせが自分宛に来たり、営業担当から直接お客様との配送スケジュールの調整を任されたりと、目に見えて自分の裁量が大きくなることが嬉しかった。

香港での海外研修で得た新たな視点

その一方で、大学時代から抱えていた海外への憧れはずっと持ち続けていた。だからこそ、海外研修制度には迷うことなく手を挙げた。その結果、念願だった海外事業所への派遣が決まり、香港へ。まったく知らない土地での生活に不安もあったが、それ以上に未知な世界で働くことへのワクワク感が大きかった。実際に日本人がほとんどいない環境だったこともあり、言語はもちろん、一緒に働くナショナルスタッフの考えや価値観も新鮮だった。

派遣された海外の事業所では研修生として、香港から輸出される貨物の管理を中心に、営業担当の補佐や輸送コストの計算、日本への現地情報の共有といった業務を担当。当時の香港は物流ニーズが加速している最中で、国だけでなく、ともに働くナショナルスタッフも活気に溢れていた。そうした環境に後押しされ、私は寝る間も惜しんで仕事に没頭した。

そんな中で偶然にも中国で生産されていた日本メーカーの人気ゲーム機の出荷管理を現地駐在員とともに行うことに。海外にいながらも日本の文化を発信できることが嬉しかった。海外研修を通じて、最も学んだのは、日本でのやり方がすべて正しいとは限らないということ。仕事において正確さを重視する日本人とは異なり、ナショナルスタッフは正確さが多少欠けることがあったが、仕事にスピード感があった。貨物輸送中のトラブル対応などは、スピードが命。時と場合に応じて、スピードを重視することで上手くいく仕事もあると知った。また、ナショナルスタッフに正確な業務を依頼する際、「なぜその点を注意すべきなのか」という背景を伝えることで、連携がスムーズになることも学んだ。「伝える側の配慮によって、受け手側の理解度は改善する」。そんなあらゆる仕事に通底することも海外研修で培うことができた。

かけがえのないものを運ぶ仕事

海外研修を経て日本へ帰国した入社4年目、海運事業部の営業課への配属となった。ここでの経験がキャリアのターニングポイントになったと感じる。既存顧客の対応が中心の部署だったが、急遽海外駐在員から新規営業先の紹介を受けた時があった。自動車製造設備の海外展開を行っている企業で、設備をさまざまな国に輸出していた。当初そのお客様は別の企業と取引していたため、他社よりもいかに付加価値をつけられるかが受注の鍵だった。

実際に受注できるかわからない状態だったが、片道2時間ほどかかるお客様のもとまで通い続けることで、まずは名前を覚えてもらおうと考えた。多少効率が悪いこともわかっていたが、初めて一人で挑む案件だったため、お客様の期待に応えたいという一心で行動。提案時は設備貨物の取り扱いに詳しい梱包業社とともに訪問することで、安全面で輸送に付加価値をつけた。そうした努力が実り、無事に案件を受注。設備輸送は遅れると製造ラインがとまる可能性があるため、お客様に輸送状況を逐一報告するなど遅延が許されないシビアな輸送が求められた。そんな中でも、関係各所との調整に奔走したことで、無事にやり遂げることができた。「貨物の輸送を通じて、お客様のビジネスを支える」というフォワーダーの使命を改めて実感した経験だった。

それからは、同じ海運事業部のカスタマーサービス担当として出荷手配業に従事した後、2度の産休・育休も経験。それまで仕事中心の日々が続いていたため、生活の変化に少し違和感もあったが、仕事とプライベートのバランスを見直すきっかけになった。これまでは自分一人で仕事を進めることが多かったが、時短勤務の影響もあり、周囲を頼りながら案件を進捗させようと思うように。自分のやるべきことはしっかり終わらせてから同僚に引き継ぎ、仕事も私生活も上手くコントロールできるようになった。

自分だからこそできることを

阪急阪神エクスプレスに入社してから20年近くが経ち、今振り返ると、上司や先輩とぶつかっていた新人の頃の自分は、本当に生意気だったと思う。しかし、主体的に行動しようとしたからこそ、結果的に営業やカスタマーサービス、海外駐在と色々な経験ができたのだと思う。周囲に反対された大学受験、不景気に悩まされた就職活動、受注できるかわからない中で挑んだ新規案件……。どんなに先が見えない中でも、信念を貫き、進み続けてきた。だからこそ、今の自分があると思う。今後もその姿勢は変わることのないアイデンティティとして、大切にしていきたい。

加えて、これからはベテラン社員として、会社の成長や後輩の育成にも力を注いでいきたいと考えている。阪急阪神エクスプレスは、航空貨物事業から始まった会社であるため、海運事業はまだ発展途中。これまで海運の部署で身につけた知識や経験を色々な社員に共有することで、組織の海運強化に貢献していく。また、後輩社員がもっと自分の仕事に自信を持てる環境にもしていていきたい。そのため、自分のやった仕事に意味があったと感じてもらえるよう、業務を手伝ってもらった際は、しっかりと感謝を伝えること。そして、作業を依頼する時は、少しでも仕事に対する理解を深めてもらえるよう、その必要性もしっかりと説明することを心がけている。まだまだ私のキャリアは続いていく。だから、これからも自分の決めた道をまっすぐ進んでいきたい。その先に今まで見たことのない景色が待っていると信じて。

MOTIVATION CHART
モチベーション(点)
100
90
80
70
60
50
40
30
20
10
2004
2006
2008
2010
2012
2014
2016
2018
2020
2022
(年)
  • 2004年4月
    22歳
    80点
    入社

    憧れていたグローバルな仕事へのワクワク感から将来が楽しみだった。配属後は、どんな仕事にも果敢に挑戦していこうという姿勢で、業務に関して先輩社員に積極的に質問していた。

  • 2004年7月
    22歳
    40点
    海運事業部業務課業務係配属

    想像以上に紙の業務が多く面を食らっていた。何もわからない中で必死に海上貨物の手続きを行うが、時に営業部署からの厳しい指摘や自分の不甲斐なさに涙することもあった。

  • 2006年4月
    24歳
    90点
    海外研修で香港へ

    海外研修制度に申し込み、念願だった海外へ。知らない土地での生活に不安もあったが、ワクワク感の方が大きかった。忙しい日々が続いたが、その分色々な経験を得ることができた。

  • 2007年4月
    25歳
    80点
    海運事業部営業課配属

    海外研修を経て、再び海運関係の部署へ。営業担当として、お客様に寄り添った仕事を心がけることで、徐々に信頼関係を構築。新規案件を受注するなど営業のやりがいを実感するように。

  • 2009年9月
    27歳
    65点
    海運事業部東京海運CS課配属

    同じ部署のカスタマーサービスへ異動。営業で培ったコミュニケーション力を活かしながら、貨物の出荷手配を担う。後輩と業務を分配することで、業務の効率化を意識していた。

  • 2014年1月
    32歳
    70点
    第一子出産のため産休へ

    業務を分配していた後輩が異動となり、多忙な時期を送っていた中で産休に入ることとなった。そのため、周囲への申し訳なさがありつつも、少し肩の荷が下りた気分だった。

  • 2018年4月
    36歳
    75点
    輸入営業部営業三課営業係配属

    二度の産休・育休を経て、職場復帰。時短勤務を活用していたため、限られた時間内で自分にできることをしようと意識していた。家庭と仕事を両立し、充実した毎日を過ごしていた。

  • 2018年10月
    36歳
    75点
    海運事業部NVOCCセンター配属

    新しい部署への配属となり、業務を覚えられるか不安があった。コロナ禍で市況変化が激しく、安定しない日々が続いた。しかし、徐々に落ち着き、安心して仕事に取り組めるようになってきている。